私も死にたいし他人も死ねばいい
なぜ自殺が悪とされるのか全く理解できない
死にたいと検索すると一番上に相談先の健康ダイヤルが出てきて、「死にたいと悩んでいたら」なんていう何の解決にもならないサイトが次に並ぶ
結局そのダイヤルにかけても全然関係のない人間が同情してくれるだけなのだ
「私はこんなに悩んでいるんだ」「こんなに死にたいと思っているんだ」
「そうなんだね、辛かったね」「生きてるだけで偉いからね」
こんなのはもっと身近な人に思ってもらわなくては意味がない、どこに住んでるのかも分かんないような人に同情されたくらいで悩みが解決するのなら、もっと簡単な事で「死にたい」なんて考え無くなってるはず。
結局一時的な不安解消にしかならない。
それなら死んだ方が、そう、コスパがいい。
(どこかのブロガーから言葉をお借りした)
たまに「自殺するなんて、一番の自己中だ」なんて言う人いるけど、自分のことしか考えてなくてここまで悩んでるような人に、さらに他人の気持ちまで考えれるわけがない。
「人生の逃げ道に自殺を選ぶ人間はその時点で終わり」当たり前だろ死ぬから終わりなんだよバーーカ
という気持ちしかない。べつに私が今から自殺する予定はない。いや、なくなった。
「生きてればなんとかなるよ」なんて、今生きる気力もない、どう明日を過ごせばいいかも提示してくれないくせに無責任な発言をする人間の方が自己中だ。
死にたいなら死ねばいい、生きてる人間の事なんか考えなくていい、貴方が疲れたのなら、人生の幕を閉じてみるのもいいかもしれない。
死ぬ勇気も無いのに明日生きるのが怖い私にとって、
実行に移せるほど死にたいと思えるのがほんのちょっと羨ましいんだ。